ぶっちゃけて一言でいえば<潮吹き女>のお話・・・と書けば身も蓋もないが、そこは芥川賞作家、辺見庸の作品なのでちゃんと文学しているのである。辺見庸は宮城県石巻市生まれだが、早稲田を卒業したあと数年、取材記者をやっていた。「自動起床装置」が芥川賞を受賞。「もの食う人々」などはジャーナリストらしい視点で世界の食事情に肉薄した秀作である。本作は自分を見失いつつある中年男性が<潮吹き女>に出会い、この女の溜まる水を出してやることが己の存在意義のように思われ留まろうとするのだが、女の水はだんだん少なくなってゆく・・・・という話を寓話のように描く。今村昌平監督の音声スタッフはかなり苦労したようだ。様々な水の音を映像の中に入れなくてはならなかったからである。海、川、汽水(海と川の交わる所)、水滴、雨音、女の体内から流れる水音など、どれ一つとして同じ音にしてはならなかった。脚本は監督の長男で彼自身も又監督でもある天願大介である。会社をリストラされて毎日職安通いをする中年男性の笹野陽介(役所広司)はひょんなことから隅田川沿いのホームレス集落に住むタロウ(北村和夫)の死に立ち会うのだが、生前のタロウから妙な事を聞く。タロウは泥棒だったが、50年前に京都のお寺から金の仏を盗み、足がついてはいけないと能登半島の付け根にある港町に立ち寄って、日本海に面した赤い橋のたもとの家にその金仏を隠したというのだ。目印は門に咲くノウゼンカズラだという。それが気になって仕方がないと言いタロウは亡くなったのだ。陽介は導かれるようにして氷見線に乗り込み能登へ向かう。果たしてタロウの言った家は彼の言ったとおりに存在したのだ。そこには妙齢の美人、逢沢サエ子(清水美砂)がおり陽介は彼女の後をつけるのだが、サエ子はチーズを万引きする。その時のサエ子の表情にひっかかりを覚えた陽介。彼女の立っていた場所に行くとそこには不思議な水たまりが出来ており、銀のピアスが片一方ポツンと水の中に落ちていた。陽介はそのピアスを拾いあげてサエ子の家に行くと、サエ子と母ミツ(賠償美津子)が彼を迎え入れてくれるのだった。二階に上がると、その部屋からは立山連峰が眺望できて、山は冴え冴えと美しい。サエ子は自分は和菓子職人でミツは近所の神社に納めるおみくじを書いて母子2人で細々と暮らしていると言うのだった。そしてサエ子は陽介に自分は体内に水がどんどん溜まって、その水が溜まると万引きしたくなるのだと・・・そしてその水を出してくれる男性が必要なのだという。その日から陽介はサエ子の水を出してやるために毎日、彼女の家に通う。(半端なく水を噴き上げるシーンや大量の水が屋根を伝うシーンなど凄い!!)陽介は彼女と暮らすことを決心して地元の漁師(夏八木勲)に弟子入りするのだった。生きる喜びが全身に漲り、陽介は東京暮らしでは味わったことのない充実感を感じるのだった。だが漁師からサエ子に関する良くないうわさを耳にする。流れ者がサエ子との情痴のもつれでもう一人の男に殺害されたというのだ。そういえばサエ子の水は最近少なくなってきている。もしや・・・・。今村昌平監督は「うなぎ」でもこの2人を起用しているが(監督は清水美砂がお気に入りのようだ)サエ子の役柄はちょっと清水美砂には荷が重いのではと危惧したが、妊娠中だったということもあっていつもの彼女とは違いこれはこれで良かったのではと思う。<薄皮を剥ぐような芝居をしろ!>という監督の要求に答えられる才能ある女優もそうそういないだろうし・・・。利発すぎてもいけないし、肉感的すぎてもいけない。平凡な才能の女優だから良かったのかも知れない。