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マリー”もうひとりのマリア”(30点)

マリー ~もうひとりのマリア~マリー ~もうひとりのマリア~
(2008/04/02)
マリオン・コティヤール、ジュリエット・ビノシュ 他

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「ダヴィンチ・コード」がヒットして(こういった話は昔から言われていてオリジナルではないのでそれほど感心した作品ではなかった)こういった映画が出てくるのかよくわからないが、層々たる俳優をそろえてこの作品はどうかと思う。ローマ法王を中心とする教会が認めていない福音書は数々あるが、(彼らが自分たちに都合の悪い福音書を認めるわけがないのだ)これがどうしてミステリーになるのだろうか?マリアが娼婦やキリストの妻や愛人ではなく実際は有能な弟子の一人であり男のように言葉を伝えたことが、どうしてスキャンダルなのか?女性蔑視も甚だしいのである。マリアの福音書もあるではないか?弟子たちはそれぞれに福音書を残したがローマ教会は自分たちに有益な福音書しか認めなかった。これはキリスト教会の陰謀にすぎない。1945年に発見された<トマスの福音書>には(トマスは使徒の中でもキリストの奇跡や神秘を否定しており信じないトマスと言われていたらしい。多分に科学的な頭脳の持ち主だったのであろう)マリアとペテロが論争したと記されている。そしてキリストはとても知能が高かったことも。1947年に死海の洞窟から発見された<死海文書>にはキリストの言葉が古代ユダヤ教の一派であるクムラン宗教団の教義から引用されていたことを証明する記述があるのだ。そしてまた<ユダ福音書>にはキリストがユダに自分を売るよう指示したと記されている。ユダは裏切り者ではなく、キリストの教え自体がユダヤ教からきているなどということを法王は認めるわけにはいかないだろう。ユダヤ人を迫害してきた歴史が覆るからである。これほど他民族を迫害しておきながら一方で死刑反対を唱える。神の元では罪は赦されるからである。すべての人間の罪を背負ってキリストは磔にされたのだから。私は死刑賛成派でも反対派でもないが、赦されることもないと思っている。人間は元来残虐な生き物なのである。五木寛之氏は幼い頃、中国の大地で母親をロシア兵にレイプされている。家族の前で辱められた母親はその日から一切の食事を断ち死んでいったというのだ。その悪魔のようなロシア兵が夜になると美しい歌を歌うのを聞いて、作家は人間の本質について深く考えるようになったという。勿論この経験は作家を生涯苦悩に追いやり、このことを告白したのも最近の事なのである。善行もすれば悪行もする。これが人間なのである。
映画の中でテッド(フォレスト・ウィテカー)が妊娠中の妻(ヘザー・グラハム)を欺いてグレッチェン(マリオン・コティヤール)と毎晩不倫をしているのだが、妻と子供の命が危険になり自分は罪深いから妻子の命を奪われそうになっているのだと改心して祈る場面があるのだが、深みがないというか余りに単純というかゲンナリする。マグダラのマリア役の女優マリー(ジュリエット・ビノッシュ)が今までのキャリアを捨てて現地で使徒のように暮らすという説明もよく出来ていない。宗教というものは諸刃の剣である。こんなものを見るくらいならドストエフスキーの「悪霊」か夏目漱石の「こころ」を読むほうがよほどタメになる。

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