画家アーシル・ゴーキーは1904年トルコのヴァンに生まれた。1915年トルコ軍はヴァンに住むアルメニア人をアララト山の麓で虐殺した。その中にゴーキーの母もいたのだった。1920年命拾いしたゴーキーは先にアメリカに渡っていた父を頼って亡命する。ボストン美術学校を卒業したゴーキーは画家となるが、スタジオを火災で焼失したり、癌を発病したり、事故で利き腕に麻痺が残ったり、妻が子供を連れて家出したりしたことなど不幸が重なって1948年44歳で自殺してしまう。この絵はゴーキーと母が故郷で撮った唯一の写真を元に描いた絵画である。なぜか母の両手は白く塗りつぶされているのだ。アトム・エゴヤン監督自身の両親も亡命アルメニア人であり、監督はエジプトで生まれているのだ。そして一家はカナダへ移住した。国を失った民族の悲劇をこの作品は語る。映画は複雑な様相を見せる。1915年当時のアメリカ人宣教師クレランス・アッシャーが書いた著書を元に虐殺の真実を再現する。監督自身と思われるエドワード・サロヤン(シャルル・アズナブール)が脚本家ルーベン(エリック・ボゴシアン)と共に、1915年のアララトでの虐殺を映画に撮っている。映画の撮影風景と2つの家族の確執が交互に映し出されてトルコがアルメニア人にしたことを告発しているのだ。1894年〜1896年にもトルコはアルメニア人を20万人虐殺したが、1914年8月にドイツ軍とトルコが密約をかわしドイツという後ろ盾を得たトルコは本格的にアルメニア人を根絶やしにし始めるのだ。8月18日だけで1080人のアルメニア人が殺害された。トルコにおけるキリスト教信者を100万人以上殺害したが、ほとんどがアルメニア人だったという。トルコ内のアルメニア人は飢餓・虐殺・レイプなどで亡くなった。1948年国連ジェノサイト条約が締結され、生き残って各国に散らばったアルメニア人たちがトルコの非道を国連に訴えたがトルコはその事実を認めていないのである。加害者側はそんな事実があったことなど教えてはもらっていない。(日本軍がしたことを我々は教わっていないから、韓流ブームなどおこるのだ。)被害者側は決して忘れないのだ。妊娠している姉をレイプされ、腹を切り裂かれ胎児を引きずり出されて殺害される光景を。父の目を抉り出し口の中に突っ込み、若い女は裸にされて踊らされ焼き殺される光景を。