あまりにも有名な黒澤明監督の「生きる」は1952年の作品であるが、前年1951年に東宝争議が持ち上がって黒澤は<映画芸術協会>を設立した。他の映画会社から「野良犬」「羅生門」「白痴」などを撮った後、争議もおさまった東宝から「生きる」を撮影。脚本は黒澤明・橋本忍・小国英雄の3本柱が担当して2時間30分あまりの長編現在映画を撮ったのである。生きる屍のような主人公と活気溢れる混沌とした雑踏、あるいは生命の溢れた太陽のような娘などを対比させる演出には、並々ならぬ監督のこだわりが感じられる。市役所の市民課長、渡邊勘治(志村喬)は毎日、判で押したような業務をこなしていたが末期ガンに罹っているということを知ってしまう。30年間、何事もなくだからといって生きたとは言えない生活を送ってきた勘治。妻は長男の光男(金子信雄)がまだ幼い頃に亡くなっており、現在は光男と嫁の一枝(関京子)と同居していた。長男夫婦が真っ暗な家に帰宅すると(2人は勘治の退職金の一部を新居に当てる話などをしながら部屋へ入る)自分たちの部屋に勘治が身じろぎもせず座っていた。驚く長男夫婦!階下に下りてしまう勘治!気まずい空気が流れる。勘治は妻の仏壇の前に座って、光男の幼い頃のことどもを思い出していた。翌日、勘治は無断欠勤をする。安酒場で三文作家(伊藤雄之助)に出会い、バーやストリップなどあらゆる歓楽街に繰り出す勘治だった。無断欠勤の続く勘治について役所内では根も葉もない憶測が飛び交っていた。(昔も今も役所体質は変わらない!)係長の大野(藤原釜足)や主任の斎藤(山田巳之助)は課長の椅子を狙っていた。市民課の職員で夜間中学しか出ていないので万年職員の小原(左卜全)や野口(千秋実)、木村(日守新一)、坂井(田中春男)らも噂話に花を咲かせている。5日も経った頃、臨時職員の小田切とよ(小田切みき)がフラフラと所在なく歩いている勘治を見つけて、役所を辞めたいから課長の判子がいると声をかける。久しぶりに自宅に帰る勘治。長男夫婦も家政婦(南美江)も若い女性を連れ帰る勘治に勘違いをする。そんな家にもいたたまれず勘治はとよと一緒に再び出かけるが、とよのストッキングの破れが気になる勘治はとよにストッキングを買ってやる。2人でパチンコをしたり、喫茶店に入ったり、食事をしたりして時間をつぶす勘治だった。屈託ないとよはよく笑いよく食べる娘であり、勘治は自分にはない生命力の輝きを持つとよを毎晩誘うのだったが、とよの方では少々迷惑であった。「どうしたら君のように輝けるんだ!」と問う勘治にとよは「一生懸命働いて食べる!それだけよ!」といい今働いている工場で作っているうさぎのオモチャを勘治に渡すのだった。勘治は何かに弾かれたように飛び上がり「そうだ!今からでも遅くない!」と言い飛び出していくのだった。翌日、役所には勘治の姿があった。数日前に黒江町の主婦たちが、暗渠の汚水が悪影響を及ぼしているので何とかして欲しいと陳情にやってきてきたのを思い出した勘治は早速、現地に飛ぶ。(土木課、下水課、道路課、福祉課。助役・・・とたらいまわしにされていた陳情案件である)勘治は死ぬまでの5ヶ月間でそこに児童公園を作ったのであった。勘治の葬式の日、ブンヤたちが押しかけてきて「あの公園は助役らが作ったように言っているが、本当は市民課長、渡邊勘治さんの功績では?」と聞きに来たのである。助役(中村伸郎)や市会議員(阿部九州男)らは自分たちの功績だと主張するが、その場にいたたまれず退散する。残った役所の下っ端たち!酔った彼らは本音が出て渡邊さんの後を継ぐぞ!と息巻く。勘治は雪の降る夜、出来上がった公園のブランコに揺られながら幸福そうに「命短し、恋せよ乙女♪」と歌っていたとパトロール巡回していた警察官が焼香にやってきて言う。「あの時、ボクが渡邊さんを連れて帰っていたら・・・・」とむせびなく警察官。勘治はブランコに座ったまま凍死していたのだ。黒江町の主婦たちもお通夜にやってきて、勘治の遺影の前ですすり泣く。翌朝、市民課では昨夜の感動とは反対に全く体質の変わらない判で押したような日常が繰り返されていた。こういった作品は後年多くの監督が同じようなテーマで映画を製作したので、今となっては目新しくはないが、この黒澤監督の「生きる」がベースになっていることは間違いない。当時、この作品は画期的な映画であった。たとえ5ヶ月であっても一日であっても人間が何かをなしえようとするするのに遅いも早いもないのである。だがこんなシンプルなことがなかなか人間には出来ないのだ。