オーストラリアの19歳の監督ムラーリ・K・タルリの「明日、君がいない」はカンヌ映画祭<ある視点>部門に上映されて20分間のスタンディング・オベレーションを受けたという問題作である。彼は女友達の自殺を経験したことが本作を作る起点になったといっている。作中に足の悪い青年が出てくるが彼は実際に足が不自由で街を歩いていてタルリに声をかけられたという。まったく芝居経験がないそうだ。そんな風にタルリは自分の足で俳優も探して交渉した。手作りの自主映画なのである。私のような年齢に達してしまうと何だか物足りない映画ではあるが、弱冠19歳の青年が撮影したと思うとこれは大変な問題提起作だと言える。私個人の考えを言えばキリスト教社会というものは非常に排他的であり自分と違う異種を許容できない社会なのだと思う。(しかし日本のいじめの方が深い闇に包まれているような気もする。)原題は<2:37>だ。その日の2:37にメロディが学校のトイレに入ろうとすると中から鍵がロックされており入れない。だが誰かが中にいる気配がする。戸を叩いて開けるように言うが返答がない。教師がやってきてドアの下から大量の血液が流れているのを見て管理人を呼び戸を開けさせる。誰かが中で死んでいるようだ。それが誰なのかは見せない。そして映画はそこから一日前に遡る。6人の若者がインタビュー形式にさまざまなことを語る場面と日常が映し出される。それを交互に撮って彼らが個々に抱える苦悩や虚無を浮き彫りにしてゆくのだ。スポーツマンの一見単純そうに見えるルーク、ルークと結婚することが夢のサラ、ゲイであるゆえに両親からもクラスメートからも拒絶されているショーン、足が不自由で肉体的欠陥により尿をもらしてしまい苛めの対象になっているスティーブン、エリート弁護士の父親と別居中で海外旅行へ行っている母親をもち成績優秀で芸術にも秀でているマーカスとそんな兄にコンプレックスを持っている妹のメロディ。どの子が自殺してもおかしくないような状況が次々に明るみになってゆく。そしてラストでは意外な思いもよらぬ結果が提示されるのだ。中高生の人たちが見れば別の感動があるかもしれない。21世紀の子供たちが生きにくいのはどこも同じなのだろうか?