鹿児島からは北辰(北極星)が斜め(南の方角)に見えることをさす<北辰斜めに>は鹿児島の第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)の寮歌である。原作「記念試合」を書いた室積光が脚本を担当。神山征二郎監督が三國連太郎をイメージして再三脚本を書き直して三國に出演依頼をしたそうである。三國連太郎は自分の納得のいかないシナリオの映画には出演しない人として有名。「釣りバカ日誌」シリーズも義理があり出演していると公表している位である。監督の熱意にほだされて出演したらしいが、実際あまり良い脚本とはいえない。戦前の旧制高校にはバンカラの気質と勉学に運動に熱心だった学生がいた。教師陣も又素晴らしい人材がいた。戦後教育の脆弱さや平和の尊さを謳う本作は大正7年7月12日の第七高等学校と熊本の第五高等学校の野球試合の場面から始まる。結果、七高は勝利し、両校の応援団らは乱闘にまで発展し警察まで出動する大騒ぎになってしまったという。平成13年夏、「五高七高対抗戦百周年試合」が行われることになる。七高のピッチャーでエースだった上田勝弥(三國連太郎)は東京郊外で開業医をしており、高齢となった現在は息子の勝弘(林隆三)に病院をつがせていた。孫の勝男(林征三)も又甲子園を目指していたが練習中に靭帯損傷をしてしまう。勝弥はなぜか欠席の返事を出すのだった。勝弥の七高時代の先輩、草野(緒方直人)を戦争中ジャングルに置き去りにしたことが戦後も勝弥を苦しめていたのだ。それで彼は郷里には帰らなかったのだ。だが七高OBの本田(神山繋)や同窓会委員の海路(北村和夫)、真田(坂上二郎)らが出席をうながす。甲子園は断念したが鹿児島大学法学部に入学した孫の勝男が野球部のエースとなってその試合に出場することになったのだ。勝弥は試合を観覧するのだろうか?真面目な映画だと思うがこれを今の若い人がどれくらい見るのか?と思うと複雑な思いがする。三國連太郎自身、中国へ出征したのだが千数百人の若者のうち生きて帰って来たのは20人〜30人だったという。(三國は兵隊になるのが嫌で大阪から佐賀の唐津まで逃亡してそこで憲兵隊につかまっている。母が通報したのだが後年、母の死に際して母をいまだに許していない自分自身に驚いたと三國は書いている)