NY近代美術館に納められているという日本を代表する名作。小津安二郎という監督は1903年12月12日〜1963年12月12日享年60歳でなくなった。東京深川の下町に生まれたが豪商湯浅屋の番頭をしていた父の関係で9歳のときに三重県松阪へ移転しており宇治山田中を卒業(映画館ばかり行って寄宿舎を追放されている不良学生だったという)一年間代用教員をしたりしたが大学受験に失敗をしており結局映画の世界に飛び込む。ローアングルのカメラワークを打ち出し、現在のホームドラマの原型を作った。本作は1953年11月3日公開の映画。尾道に住む72歳の平山周吉(笠智衆)と68歳の妻とみ(東山千栄子)は学校教員をしている次女京子(香川京子)と3人暮らし。老齢ということもあり東京に住む子供たちに旅行がてら会いに行くことにするが、内科医師をしている長男幸一(山村聡)の所も妻文子(三宅邦子)や男の子2人がおり幸一自体も患者を抱えており多忙だ。長女志げ(杉村春子)もまた美容院を経営しており夫もまた仕事に忙しいのだった。戦死した次男修二の嫁紀子(原節子)は再婚もせず事務員として働いていたのだが、子供たちに代わって彼女が会社を休み夫の両親を東京見物に連れていくのだった。子供たちは2人を熱海旅行へ送り出すのだが、熱海の旅館は若い人たちがうるさくてろくすっぽ眠ることも出来ない。2人は早めに娘の所へ行くのだが志げは迷惑そうである。仕方なく周吉は尾道から東京へ出ている友人服部(十朱久雄)のところへ行く。とみは紀子のところへ泊めてもらうことに・・・・。私は改めて原節子という女優の素晴らしさを再認識した。永遠の処女と言われるはずである。結婚もせずスキャンダルもなくひっそりと引退したこの女優は伝説となるに十分な魅力をたたえている。女優のもついやらしさが全くこの人にはないのだ。ノーブルに美しい。吉永小百合などは似た存在だろうが彼女は浮名もあり結婚もしているから、また違う。この女優の映画を全て見たくなったから不思議だ。映画はなんてことはなく淡々と描かれている。両親は尾道に帰るのだが途中で大阪にいる国鉄職員の三男敬三(大坂志郎)の所へ寄るのだが、妻とみが具合いが悪くなって休むのである。元気そうに見えていたとみが自宅に帰った途端具合が悪くなり危篤状態に陥る。東京の子供たちは電報を受けて喪服を用意して帰郷するのだった。とみの葬式が終わったばかりだというのに母の形見分けの話をする長女や、意外に冷たい子供たちの様子と他人である次男の嫁にとみの一番いい形見をこっそりやる周吉。50年以上も前の映画だが描かれていることは現在のそれと大して変わらない。普遍的な親子・家庭の問題を描いていて秀逸である。