昭和33年3月10日から<サンデー毎日>に連載された滝口康彦の<異聞浪人記>から「八百万石に挑む男」を日本の名匠、小林正樹監督が映画化した本作は1963年カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞した。全世界で「HARAKIRI」というタイトルで公開され、切腹シーンでは女性の失神者が続出したという映画である。世界の小林となった監督はこの後も「怪談」「上意討ち」などで数々の映画賞を受賞している。世界のクロサワと共に有名な監督である。優れた脚本は黒澤明監督と数々の名作を生み出した橋本忍だ。寛永7年10月、井伊家の江戸上屋敷。あの東大赤門で有名な門を一人の男がくぐる。津雲半四郎(仲代達矢)と名乗る男は「切腹のためお庭を拝借したい。」と言う。それを聞いた家老の斉藤勘解由(三國連太郎)は苦々しく思った。数日前にも千々岩求女(石浜朗)という浪人者がやってきて同じことを申し出たからである。先ごろ、ある大名屋敷で同じことを言い仕官したものがあり、浪人の間では流行していたのだ。困った大名屋敷では金品を握らせて返すことが多くあった。それでは示しがつかぬ!と思った斉藤は千々岩を本当に切腹に追いやったのだった。今回も同じように切腹を申し付ける算段だった斉藤の前で津雲は介錯を斉藤の選んだ新免一郎から沢潟彦九郎(丹波哲郎)に替えてくれという。斉藤は沢潟を呼びに遣わすが沢潟は病気と称して出仕していない。それを聞いた津雲は矢崎隼人(中谷一郎)に頼みたいというのだが、矢崎も又出仕していないのだった。次に津雲は川辺右馬之介(青木義朗)を指名するが結果は同じこと。さすがの斉藤も不穏な空気を感じ取るのだった。その3人は千々岩の切腹に関与したものたちだったのである。矢崎は千々岩の差料(刀)が竹光だと知りあざ笑った張本人であり、川辺も又竹光で腹をきらせろ!と言ったのだった。斉藤もそれに同意し千々岩に「十文字に腹掻っ捌いてみろ!」と命令した。沢潟は介錯を勤めたが、苦しむ千々岩を長く放置しておいたのだ。結果。千々岩は死に切れず舌を噛み切る。そんな経緯もあり、斉藤は不安になり早く切腹するように言うが津雲は「その前に私の身の上話を聞いていただきたい!」と言うのだった。その悲しい身の上話とは・・・・・。井伊家をとても悪く描いた作品であるが、ラストの大立ち回りといい、様式美といい言葉遣いといい必見!!である。1962年の作品であるから46年も前の作品である。この時、仲代30歳、石浜27歳、三國39歳、丹波40歳!この頃の俳優は芝居の基礎が出来ており実に巧い!現在においてこの若さでこれほどの役者陣が揃うだろうか?山田洋次の時代劇に喜んでいるようではまだまだだ。