「博士の愛した数式」「阿弥陀堂だより」「雨あがる」の小泉堯史監督の作品。原作は大岡昇平の「ながい旅」。共同脚本のロジャー・バルヴァースはユダヤ系アメリカ人だが、米国を捨てオーストラリア国籍を取得した人で「戦場のメリークリスマス」の助監督もした。現在は東京工業大学教授。東海軍司令官だった岡田資(たすく)中将(藤田まこと)は名古屋大空襲の際にパラシュートで投降したアメリカ兵捕虜38人の内27人を斬首命令したとして敗戦後、1945年B級戦犯として部下20人と共に横浜地方裁判所において裁判にかけられた。その模様を映画化している。昭和23年3月8日からフェザーストン主任弁護人(ロバート・レッサー)は空襲にあった守部和子(蒼井優)や真生塾孤児院の院長、水谷愛子(田中好子)などを証人尋問して名古屋空襲を無差別爆撃、大量殺人とみなしアメリカ兵はジュネーブ条約でいうところの捕虜ではなく戦争犯罪人なのであるから、斬首処刑されても仕方がなかったと主張した。だがバーネット主任検察官(フレッド・マックウィーン)はジュネーブ条約違反だと主張するのだった。一ヶ月にわたり証人尋問は行われた。戦犯として法廷に引き出された岡田中将の部下20人のうち15人が斬首実行者とされていた。だが岡田は自分ひとりに責任があったと罪をかぶろうとするのだった。そんな岡田の姿に検察官も心動かされる。公判には岡田の妻、温子(はるこ・富司純子)や長男の陽(あきら氏は現在も84歳と存命)と一週間後に結婚を控えていた小原純子(近衛はな)、そして長女の達子夫婦が生後間もない赤ちゃんを連れてきており、弁護人・検察官共に終始穏やかな法廷であった。だが石垣島での米兵捕虜3人の処刑に関わったとして45人中41人の絞首刑が決定し、岡田の部下らは平常心でいられない者も出てくる。岡田は部下を励ますため「信念でよくならんでどうする!」と部下と共に座禅をしたり法華経を読経したりしていた。実に公判は一年四ヶ月に渡って続いた。そして判決が下される。岡田一人が絞首刑となったのだった。岡田は出廷するさい、妻に「本望である!」と一言いって去った。岡田資中将は収監されていた巣鴨プリズンで<毒箭>という遺書めいたものを記している。その中には妻に対する感謝の念ほか、こうも記されていた。<敗戦直後の世相を見るに言語道断。何もかも悪いことは敗戦国が負うのか?要人にして徒に勇気を欠きて死を急ぎ、或いは責任の存在を弁明するに汲々として武人の嗜みを棄て生に執着する等、真に暗然たらしめるものがある。>実際、原爆を落とした張本人は罰せられることはなかった。敗戦国だけが裁判にかけられたのだ。又、日本人の中にも中国人を大量に化学実験に処した石井四郎などアメリカと裏取引をして戦犯とはならず免れた者もいる。岡田の手記を読むと、いまだに戦後処理は終わってはいないと暗澹たる思いになる。岡田中将は昭和24年9月17日巣鴨プリズンで夜半、絞首刑になった。享年59歳。藤田まことは少し年齢が行き過ぎており、実際の岡田中将は武人らしく精悍な男である。又裁判のシーンも証人尋問の際、水谷愛子などは白髪を乱して焼夷弾による惨状を強く訴えており、田中好子などは静かで綺麗すぎる。小泉監督は上品すぎる演出で緊迫感に欠けるのはいつものことである。