私は原作を先に読んでしまっていたので、ちょっと映画は違和感があった。博士が寺尾聰、家政婦が深津絵里でルートが吉岡秀隆なら、これは観るしかない!と思ったのだが・・・。優れた原作の力というものは凄いものだなあ〜と改めて思った。小川洋子氏は数々の小説を書いておられるが、これは氏の代表作といっても過言ではない。80分しか記憶のもたない博士とシングルマザーの心の交流を描いた本作は、それこそ人間の品格や尊厳を改めて際立たせた。博士が整数論専門の教授なので、この話には数学の話が出てくるが、決して難しいことを言っているわけではなく数式を使うことによって個々の人間の存在というものが、ただ単に生まれて死ぬだけの存在ではないことを示唆した。このヒロインのシングルマザーは男の子を抱えて苦労している。学歴があるわけでもなく、特別な技術をもっているわけでもない。だから唯一出来る家事を職業としているのだった。ビルの掃除や嫌な雇用主にも耐えなければならない。だが、博士は彼女と最初に会ったとき「君の靴のサイズはいくつかね?」と聞くのだ。「はい、24ですけど。」「24か。実に潔い数字だ。4の階乗だ。(1×2×3×4=24)」と言うのだった。これだけでもこの出会いが彼女にとってすばらしい出来事の始まりなのである。彼女の閉じていた目が開いた瞬間だ。80分しか記憶のもたない博士は毎朝同じことを聞くのだ。「君の靴のサイズは?」と・・・・。これは彼女にとってカタルシスであったはずである。彼女に子供がいることを知った博士は驚き悲しむ。そんな小さな子を一人ぼっちにするもんじゃないと。そして彼女は子供を連れてくるのだった。頭のてっぺんが平らな子供にルートと名付けた博士は「√はどんな数字でも受け入れる実に寛容な記号なんだよ。」というのだった。どんな励ましよりたったその一言だけで人は生きていけるような気がする。小説では兄嫁のことは、二人で興福寺の薪能にいった帰りに事故に遭い、義弟は記憶障害に自分は足を悪くした。ということぐらいで、どうも不倫関係にあったとははっきり書かれてはいないが、映画は不貞をしていたような描き方であった。朝丘ルリ子がギリシャ仮面劇のような厚化粧で辟易するのだが、この人物だけが生々しい。もっとさらっとした描き方のほうがよかったのではと思う。小説は博士が熱を出して看病をするために家政婦親子が泊まったことが近所の手前困るというような描き方だったのが映画のほうは兄嫁がなんだかこの若くきれいな家政婦に嫉妬しているような感じがした。この辺の兼ね合いが映画化の難しいところだろう。映画も悪くはないが原作はすばらしいので一度読んでみられてもよいだろうと思う。