ペドロ・アルモドバル監督の神学校時代の自伝的映画だというからにはゲイ道の入り口に足を踏み入れた映画に違いないと思ったのだが少し違った。
1980年マドリード、若手新進脚本家エンリケ(フェレ・マルチネス)はスランプ状態だったが、ある日1人の美青年がやってきて自分はイグナシオだと言うのだった。その名前を聞いてエンリケは動揺する。16年前に神学校寄宿舎で一緒だったイグナシオの名はエンリケは忘れようと思っても忘れられない名前なのであった。イグナシオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は劇団に在籍する役者で「訪れ」という題名の原稿をエンリケに是非見て欲しいのだという。エンリケはその青年が16年前のイグナシオだとはどうしても思えず、その原稿を読むと約束だけして早々に帰らせるのだった。引越したばかりの自宅でその原稿を読んだエンリケは驚く。16年前のイグナシオとエンリケ、そしてイグナシオを寵愛したマノロ神父のことが書かれていたのだ。(エンリケは監督自身がモデルだと思われるが、監督はこんな美青年ではない。)私はガエル・ガルシア・マルケスを様々な映画で見たがどれも違う役柄でどれも違うマルケスであった。この俳優はレイフ・ファインズのようにマルチな男優になってゆくのだろうか?ガルシア・マルケスがガッチリした体格なのに反してフェレ・マルチネスはスッキリした無駄のない体つきであった。この2人が絡むシーンは監督のやりたい放題なのである。ガルシア・マルケスに女装までさせて歌までうたわせているのだ。この監督はよほどスペインの革命家にして作家だったロルカが好きらしくロルカの芝居の話がやはり出てくるのだ。アントニオ・バンデラスを世に出した「欲望の法則」でも愛の痛みを表現しているが、本作でも変わるものと変わらぬものを、得るものと失うものを描く。映画の中で語られる、女が夫の見ている前でワニの群れに飛び込んで声も上げずにワニに引き裂かれたという新聞記事にひどく心ひかれているエンリケの様子が描かれている。この監督は特異な死にとても興味があるみたいだ。人を選ぶ作品である。素直に「ボルベール(帰郷)」を見ておいたほうがよいかもしれない。