1976年当時、過激な性描写にうるさかった日本映画界に於いて敢えて本番作品を撮り、フランスで編集した大島渚監督の問題作(今となっては問題作でもなんでもないが)。フランスの題名は<L’empire des sens>(官能の帝国)という。昭和11年といえば現在と同じ不況に喘いでおり、身を売る女性も多かったという。そんな世相に起こった猟奇事件<阿部定事件>は号外が出たほど注目された事件である。昭和11年2月1日、東京中野の料亭<吉田屋>に30過ぎの女が女中見習いとしてやってくる。女の名は阿部定(松田英子はわが国初の本番女優と呼ばれている)。加代という名で働き始める定。彼女は名古屋商業高校の校長をパトロンにもっていたが、校長が小料理屋を出してやろうと言い、それには料亭で働いてみたほうがいいということになりやってきたのだ。だが定は吉田屋の主人、石田吉蔵(藤竜也)に一目惚れしてしまう。大人しく優しい美男の吉蔵とて小粋な定を憎いはずはなく、2人は夜更けの応接間や早朝の離れ座敷で関係を持つ。2人は余程、肉体の相性が良かったのか一時だって体を離してはいられないのだった。だがそのことが妻(中島葵も又、藤竜也と本番をしており第二号というところか)に知れ、2人は駆け落ちをしてしまう。お金もすぐに底を尽き、定は吉蔵が逃げないように自分の赤襦袢を着せて宿に待たせて、自分はパトロンの所へ金を無心にいくのだった。だがその間も吉蔵は寂しくて仕方ない!戻ってきた定と激しく求め合う。待合を転々とする2人は寝食もままならず、体を寄せ合っていた。映画では吉蔵が定の性器に卵を入れたりするシーンがありそれが大変話題になった。(定の供述書には互いの性器にシイタケや刺身を乗せて食べあったというから、寝てるんだか食べてるんだかわからない状態である)2、3日の家出のつもりが2週間にもなってしまい、吉蔵は家に帰って整理しなくては定と一緒になることも出来ないと定を説得する。妻がウン!というはずもなく吉蔵は定のところへ戻ってくる。定は「別れようとしたら殺してやる!」だの「女房と寝たら殺されてもいいと言え!」だの脅迫めいたことを吉蔵に言うのだった。吉蔵も又、素直に「女房と寝たら殺されてもいい!」と答えるのだった。だが5月16日、定は吉蔵の首を腰紐で強く締めてコトに及んだので、吉蔵の顔が腫上がってしまうのだった。吉蔵は家に一旦帰って養生してから、今後のことを考えようと提案するが、定はこれっきりになるのでは?と不安になり眠っている吉蔵の首を力を込めて絞めて殺害してしまう。定は吉蔵の性器を切り取り、敷布に吉蔵の血で<定吉二人きり>と書き(吉蔵の股にも同じ文字を刻む)、吉蔵の下着を身に着けて、吉蔵の褌に性器を入れて腰に結わえ付けて出奔する。18日に定は逮捕され、20日には号外が出る。6年の刑が言い渡されるが、恩赦が出て5年で出所する。その後、40年あまり生きたと思われるが、人並みにサラリーマンと結婚もし(定だということがバレて離婚)、劇団で自分自身の役を演じたり、小料理屋のおかみになったりもしたが(阿部定の店ということで繁盛したらしい)、その後の消息は不明である。1955年に身延山久遠寺に葬られている吉蔵の永代供養をしており、1987年まで吉蔵の命日には花が届けられていたという。(その頃死んだのではないかと言われている)インタビューで定は「好きだからという男はたった一人・・・死なしたからこそ私のものなのでございます」と吉蔵のことについて答えている。ほんの3ヶ月ほどの吉蔵との蜜月が阿部定の生きた証だったのあろう。