かやの木 ギンやん ひきずり女 アネさんかぶりで ネズミっ子抱いた
塩屋のおとりさん 運がよい 山へ行く日にゃ 雪が降る
楢山まつりが 三度来りゃる 栗の種から 花が咲く
山が焼けるぞ 枯木ゃ茂る 行かざなるまい しょこしょって
日劇ミュージックホールでバンドマンをしていた深沢七郎が42歳で急に小説を執筆した。それが歌物語「楢山節考」なのである。当時の審査員、三島由紀夫や武田泰淳らをうならせた名作!アンチ・ヒューマニズムなどとよく言われるが、そういったものとは全く違う作品である。小太郎は学生時代に読んだのだが、驚いた!西洋的ヒューマニズムに毒されていた時代、これは西洋文学など有難がって読んでいる場合ではないな!と思った。西鶴や近松などの日本古典に向う契機となった。そんな原作を木下恵介監督が歌舞伎舞台のようなセットを組んで映画化した。1958年のことである。この年のキネマ旬報第一位に輝いた作品。おりんを演じた田中絹代が役作りのために前歯を3本抜いたということでも話題となった。大掛かりなセットに伊藤熹作、長唄を16世杵屋六左衛門、浄瑠璃に野沢松之輔。楢山祭りがもうすぐ行なわれるという頃、おりん(田中絹代)の家に向こう村の飛脚(東野英治郎)がやってきて妹の玉やん(望月優子)を辰平(高橋貞二がイマイチ)の後妻にどうだろうか・・という話を持ってくる。辰平の嫁は3人の子供を残して去年、崖から落ちて亡くなっていたのだ。おりんは喜ぶ。この辺りの村では棄老(姥捨て)の風習があり70歳になる前に楢山(お山)に老人を棄てなくてはならなかった。歯が33本もあるおりんは孫のけさ吉(市川団子)にからかわれる。それで石臼で前歯を折ろうとしていた矢先の嬉しい知らせだった。親思いの辰平はおりんが山行きを催促しても「来年になったら・・・」ばかりを繰り返している。近所の老人又やん(宮口精二)の山行きも近かったが、息子(伊藤雄之助)から飯も食わせてもらえずに、おりんの家に忍び込んで飯を食おうとするのだった。おりんは又やんに老醜をさらすのはみっともないことだと諭す。楢山祭りの日、手荷物を持った玉やんがやってくる。おりんは玉やんに白萩様(白い飯)を腹いっぱいに食わしてやるのだった。新しい嫁も来たことだし、おりんは心おきなく前歯を折る。稲刈りも終えて玉やんに山女やキノコの採れる秘密の場所を教えるおりん。けさ吉は松やん(小笠原慶子)という女を孕ませて家に連れ込んでいた。食い扶持も増えておりんはいよいよお山へ行かなくては・・・と思う。その夜、泥棒が入り先代も盗みをしていたその家を根絶やしにすることとなって、けさ吉は泥棒一家を生き埋めにするために出かける。おりんは辰平をせっついてお山行きを村の長老に知らせに行かせる。夜半6人の長老ら世話役がやってきてお山行きの作法を教えるのだった。早朝、重い脚をひきずって辰平はおりんを背中におぶさって楢山を目指すのだった。口を一切きかぬおりん。作法通りにおりんを楢山に置いてきた辰平は帰路、又やんがお山行きを嫌がって息子に崖から落とされるのを見てしまう。今年初めての雪が降り出してきて、辰平は引き換えしておりんに「雪が降ってきて本当によかったな、おばやん!」と叫ぶのだった。おりんはまるで観音様のように座っていた。日本人の死生観とは・・・、老いる覚悟とは・・・・そんなことを考える一助となる作品。原作を一読してみてください。


深沢七郎は片目が不自由で甘えん坊、子供時代の仇名は<ガール>だった。お婆ちゃんっ子、お母さんっ子だった七郎はミュージックホール時代に短編小説を書いていた。作家になれと勧められたと母に言うと「無責任なことを言う」と怒っていたそうである。母思いだった七郎が35歳の時に母がガンに罹ってしまう。「わしが変わった姿になっても泣いてはダメだよ。」と母に諭されたが七郎は苦しむ母に涙ぐむ。愛する母は72歳で亡くなった。この頃「楢山節考」を書こうと心に決めていた。本作がベストセラーとなり七郎は作家として活動しはじめる。唱和35年に出した「風流夢譚」が皇室を侮辱しているとして出版社の中央公論社長宅に右翼の男が押し入り、女中を刺殺してしまう。七郎の所にも脅迫文が届くようになり、人一人死んでしまったことがいたたまれず放浪の旅にでる。その後は埼玉にラブミー牧場などを作ったりして隠遁生活を送った。元ボクサーの森兼宏がボディガードになっていた。回転焼きの店を出したりもしている。狭心症の発作に見舞われたが、昭和62年8月18日に丹精した葡萄棚の下にある床屋の椅子の傍で眠るように亡くなっていたという。