一輪明月”弘一大師の生涯”(50点)
![]() | 一輪明月(いちりんめいげつ) ~弘一(こういつ)大師の生涯~ (2008/07/25) プー・ツンシンビビアン・スー 商品詳細を見る |
高僧・弘一大師の生涯を映画化。なぜ38歳で出家したのか?その詳細はあまり語られない。出生や時代背景が影響しているのだろうが、演出がよくないせいか感動が薄まってしまう。弘一大師こと李淑同は1880年中国の天津のとても裕福な家に産まれた。父には第一夫人、第二夫人、第三夫人などがおり彼の母親は妾だったという。母に溺愛された淑同は科挙試験を諦めて、京劇の舞台に夢中になっていた。楊翠喜という女優とも仲良くなったようだが、楊は袁世凱に買われて載振へのワイロに送られるのだった。17歳で母の決めた茶商の娘、愈氏と結婚。3人の子供をもうける。(1人は夭逝)蔡元培先生の主催する南洋公学に学ぶが、特に法律を学び国際法や私権法を持たない中国を憂えている。上海には8年いたが、自由婚姻の芝居などをしようとしていた。愛する母が死に彼は母の遺体を李家の表玄関から入れて、大叔父などに激怒されている。(妾は裏口から入れるのだ)母の死でなにもかも嫌になった淑同は25歳で日本留学をしている。東京中野美術学校で油絵などを学ぶ。初劇団「春柳社」を結成し留学生ばかりで「椿姫」や「アンクル・トムの小屋」などを公演している。その頃、女学生だった雪子(ビビアン・スー)に出会い結婚している。(日本の描写は酷いものである)雪子を伴って帰国した淑同は西洋の五線譜を始めて中国に持ち込んだ人としても有名だが(日本人は子供でも五線譜を知っていると言っている)初めて中国に音楽と美術の教科書も作った。様々な楽器も弾けて作詞・作曲もし、書・絵画も名人級だった。多くの中国文化人を育てた人でもある。だが38歳の時に出家をする。弘一大師として素晴らしい功績を残した。美しいカットが所々にあり、悪くはないのだが何か訴えかけるものに欠けている映画であった。もっと違う描き方をしていれば・・・と思われて残念だ。
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